2013年3月31日

大切なひと、2。

今でこそまわりに関西出身の知り合いは山ほど存在するが、
生粋の大阪人に遭遇したのはSさんが初めてだ。

しかも何のめぐり合わせか一緒に住むことになり、
一つ屋根の下どころか、ダブルベッドを
共有していたというのだから驚きである。

当時18歳だったわたしにとって
「27歳の女性」という存在がもはや未知だった。
が、歳の差なんていうものは大した問題ではなく
気がついたら本当の姉ように慕っていた。

なので彼女は今でも、
敬語を使わなくても話せる
数少ない年上の友だちのひとりだ。


Sさんと暮らしはじめた当初、
わたしは一人暮らしをしたことがなかった。
家事すらもまともにできなかったわたしを
料理から徹底的に叩き込んでくれたのがSさんだった。
同じ部屋で生活するのだから当然ケンカもした。
しかし人生経験豊富なSさんがいつも正しかった。
わたしの世間知らずも矯正してくれたのだ。
そしてどんなにケンカしても最後には
「大阪はな、パスポートいるんやでぇ!
国旗はお好み焼きフラッグやねん!」と
冗談を飛ばして笑かしてくれたのである。

それでいて強い女性だった。
ある日、Sさんが恋人と別れて、
人しれず泣いていたこともあったが、
失恋どころか、殿方とお付き合いしたことのなかったわたしには
彼女の気持ちが汲み取れず、
今思うと本当に何もできなかったことが悔やまれる。
役立たずのわたしを抱えて、ただただ彼女は強かった。


やがてSさんは大阪に帰り、部屋も引き払ってしまい、
疎遠になりつつも、年賀状のやり取りだけは欠かさなかった。
東日本大震災で真っ先に電話をくれたのもSさんだった。
携帯電話が混線し全く使い物にならず
繋がらないと心配した彼女は、
わざわざ家の電話にかけてきてくれた。
本当にいつもいつも心配してくれた。
オカンのようであり、姉であり、友だちだ。

そんなSさんと今日10年ぶりに会う。
10年という時間を経てもなお
全然しっかり者になれないわたしは
きっと、18歳に戻って
またSさんに甘えてしまうだろう。


積りまくった話をするのが
心の底から楽しみだ。