2013年3月31日

大切なひと、1。

明日というか今日から関西入りなので
今からワクワクしている。
今回は観光メインというよりは、
大切なひとを巡る旅になる予定。


まずは、かれこれ20年来の
付き合いになるルミ子に会いに行く。
時間を遡れば、子供時代に
たまたま同じクラスになったのが出会いだった。
彼女はおとなしかったが、自分と違って
お勉強のできる優等生だったので
わたしは羨望の眼差しで見てしまい
最初はなかなか近寄り難い存在だった。

ある日、珍しく彼女がちょっとした失敗をした。
え!あの子が、と思ったが、意外な面が垣間見れて
スーパーおっちょこちょいなわたしは急に親近感がわいた。
ルミ子からしたらとんだ迷惑な話である。

それからどちらからともなく親しくなり
お調子者、気が小さい、マンガ好き、など
実は意外と共通点が多いことが発覚し、
ますます仲良くなっていった。
そのころからインドア派だったわたしたちは
お互いの家を行き来してお絵かきばかりしていた。
ルミ子といれば毎日が楽しかった。
幼かったわたしはこの時間が永遠だと本気で思っていた。

しかし別れは唐突にやってきた。
ルミ子のご両親の都合で関西に引っ越すことになったのだ。
トーキョーとヒョーゴがどれだけ遠いかなんて
9歳だったおバカなわたしは知る由も無く、
「またすぐ会えるよ」だなんて、とても楽観視していた。
隣町にひとりで行くのも大冒険なのに
子どもにしたら、外国かというくらい遠い。
その事実をあとで知り愕然としたが
賢いルミ子は理解していたに違いない。
なのに、いつも通り「またね」と笑顔だった。

Eメールも携帯電話もない時代 、
ルミ子から手紙が届く度に嬉しかった。
阪神大震災では、連絡が来るまで
心配で夜も眠れなかった。
彼女は彼女で、方言も土地柄も違う関西に馴染めず
部活で仲間はずれにされてしまった。
「東京に帰りたい」と漏らす彼女を
励ますことしかできず悔しい思いもした。
長電話しては親に怒られた。

離れていても、多感な時期は
一緒に過ごしている気がした。
悩みはなんでも相談した。
メールのやり取りをしてもなお
手紙を書いてくれた。

いつの間にか、お互いイイ歳のおばちゃんになり
ルミ子は結婚して立派なマダムに、
わたしは徹夜続きのワーカホリックになった。

大きくなったら何になるだろね、
なんて想像もできなかった
当時のわたしたちからすれば
本当に不思議な感じだ。

今でも悩み事があればなんだって話すし、
嬉しいことがあれば一緒に喜ぶ、
昔と変わらず、今でもこうして
友だちでいられることに感謝している。